それでも、天空は回る | 芸術批評紙 Splitterecho 山本忠勝 |
21世紀もこうして5年目に入ると、前世紀の精神の風景がかなりはっきりと見えてくる。なかでも思いがけないのは、表面では思想の自由をかつてないほどに押し広げたポジティブな100年間だったと振り返られるにもかかわらず、その陰に実は大きなタブーが横たわっていたことに今さらながら気づかされることである。そのタブーとは、「心」とか「魂」とか、そのような形のくっきりと見えないものには公の場ではできるだけ触れないで済ましたいと身構える、広範な意識のこだわりのことである。心だって? その話題はプライベートなお喋りのなかだけにしておこう。いずれ脳神経の全メカニズムが解明されればすっきりとモデル化(数値化、定量化)されるかもしれないが、それが人間の不変の本質だなんて考えるのは一つの思い込みかもしれないし…。「魂」などという言葉は、レトリックとしてなら少々大目に見られもしたが、真面目にそんなことを語ろうものなら、感傷的なアナクロニズムと見下される恐れさえあったのだ。だが真に存在するものは、触れないでおこうとすれば却って語り手の物腰をぎこちなくするのである。たとえば栃原敏子の色彩豊かな絵画世界。あのパワフルな発色について何かを語ろうとするならば、「心」の力を引き合いに出さないでは、結局のところ肝心なことはなにも伝えられないで終わるだろう。彼女の絵はまさしく、正真正銘の心の力なのである。きわめてリアルな心の力なのである。 「地球という駅」そして「太陽をゲットせよ」。作品につけられたこれら詩的なタイトルは、画家がどんな空間に身を置いてあたりの光景を眺めてきたか、その視界の広がりをすでに明快に語っている。太陽があそこで輝いていることの、この大きな喜び、大地がここに横たわっていることの、この豊かな喜び、生命がこのここで躍動していることの、この深い喜び…。彼女の眼差しが差し向けられている果てというのは、星々があまたの軌道を描いて渡る天空であり、その天空が大地と接する広大な地平線の円弧であり、それら夜の星々と昼の積乱雲が悠然と上ってくる高貴な水平線なのである。無限へと休みなく広がっていく窮窿だ。一方、彼女がまさにその彼女の体で絶えず感じているものは、日の光、森の匂い、風のそよぎ、気温、湿度、土の感触、水のせせらぎ、動物たちや人々の歌。ほとんど皮膚の上、むしろ皮膚のすぐ裏で揺らいでいる無数の感覚の波立ちにほかならない。内部へ際限なく滲み込んでくる多様な波動なのである。そしてここでとりわけ重要なのは、これら無限の外部と無限の内部でかたどられたその広大な空間を、彼女がみずからの感受性のすべてを開いて一気に受け止めているということだ。世界が彼女のもとへ一挙に押し寄せてくるのである。 四方からどっとなだれかかってくる空間の洪水。そこに生まれるのは、むしろ、あっ、という大きな一音の叫びである。あらゆる感動を畳み込んだ熱い、あっ。あらゆる言説を畳み込んだ深い、あっ。あらゆる音楽を畳み込んだ分厚い、あっ。そこでは個々のモノの形は解体する。すべてが溶融し合って、果てしない広がりと果てしない奥行きとしてあらわれる。全体が全体としてこんなに美しいなかで、森と空をどうして分けることができるだろう。蕊(しべ)と蜂をどうして分けることができるだろう。微風と花粉をどうして分けることができるだろう。この空気とわたしの鼻腔を、この清水とわたしの喉を、この蜜とわたしの舌を、どうして分けることができるだろう。この全体の豊かさこそが彼女の絵の最大のテーマである。これをこそ描かなければならないのだ。だから、キャンバスの上はこういう光景になるのである。燃えるような赤の乱舞だ。深い深い赤の乱舞だ。覚めるような緑の破裂だ。深い深い緑の破裂だ。裂くような黄色の疾駆だ。深い深い黄色の疾駆だ。たとえば「広い世界へ」という大きな作品。ほぼ中央で右と左へ大きく分割されている画面は、右半分を勢いのいい赤が占め、左半分ではいわゆる肌色に近いやわらかな明色が躍っている。そして中央部分は上から下へ滝のように白の帯が落下する。つまりどこも圧倒的な色彩の舞踏だということだ。なにかただならないものがその画面のどこかで爆発を起こしたようである。その衝撃波がオーロラのように発色しながらいま画面の隅々にまで到達したばかりのようである。さらにその衝撃波は画面の外へも広がり出ようとしているような気配である。 この、色彩の、色彩による、色彩のための絵、のようにさえ見える栃原の作品は、その色彩のパワーがあまりにも前面に出てくるので、背後に隠された制作のプロセスもいきなり色彩から始まって色彩で完結しているように思われても、それはむりのないことだ。だが、ほんとうはそうではない。制作の動機を訊けばそのことはすぐわかる。「神戸から軽井沢へアトリエを移してもう何年になるかしら。とにかくあの自然に包まれると、ワアすごい、ワア描きたい、ってもう衝動的に思うんです。この絵もそのときの気もちをそのままに描いたんです」 ここには、ある一日の具体的な物語がしっかりと横たわっているのである。むしろこれは彼女の行動の全体をスパッと言い切った日記である。「ほら、ここのこの前がふくらんでいるこの線。これ、わたしを軽井沢へ運んでくれた新幹線。そしてこの頂上が盛り上がったブルーの線、これ、浅間山」 なるほどその稜線は、浅間山!なんとひそやかな、むしろ色彩の奥底に沈んでいるといってもいい、だがそこで確かに心が閃光を放っている、その線たち。 しかし、これはなんと根源的な発明だろう。 絵画は長い間、形態をしっかりと捉えることに精力を傾けて、色彩は形態をもっと堅固に見せるための補完的な手段であった。やがて色彩は自立を始め、ついには形態と決別して、色彩ばかりで画面が覆い尽くされる時代が来た。しかしいま栃原は彼女なりの方法で色彩と形態を第二の婚礼へと差し向けているのである。両者がここではかつてなく親密に溶け合うのだ。新幹線が画家もろとも自然の息吹の中へ突入して、彼女はじぶんの世界へ帰ってきた幸福で飽和する。この満たされたいまの一瞬に、この鉄の列車とこの森とあの山とあの空とあの太陽を分けることなど、ほとんどなんの意味もない。列車の形態、森の形態、山の形態、それら個別の形態をあの潔癖症的な認識の刃で切り出すことなど、むしろこのよろこびの感情にはまったくそぐわないものだ。この世界では形態と色彩は補完などしないのだ。形態と色彩は全体のなかで融解する。といったところで、さて、まとめへ進むころあいだ。それにしても栃原の強烈な色のパワー、あれはどこから来るのだろう。パワフルな色が生み出されてくるその背景(環境、条件)については、ここまでの文脈でそこそこ述べたつもりである。残るのは力学の問題だ。同じ赤を使っても、栃原の赤はなぜあそこまで強いのか。おなじ青を使っても、彼女の青はなぜあそこまで際立って強いのか。これは、おそらく、けっきょくのところ、魔法である。この強度は、彼女がこの世に生まれ出るとともに、彼女がこの世界に持ち込んだものなのだ。テーブルに穴を穿ってそこからビールをふんだんに噴き出させるのが魔法なのでは決してない。それは奇術だ。ほんとうの魔法というのは、むしろひっそりとこの世に生まれて、だれもが用いるあたりまえの手段を踏襲しながら、しかしかってなかった深いものを不意に生み出す、心の働きのことである。魔法は心とともに生まれ出る。 心の強度! 20世紀は心にとっては圧政の時代であった。栃原敏子もその20世紀に生まれた画家のひとりだが、圧政の時代をぬけて、この21世紀に「心」を持ち出したという点で特筆すべき芸術家なのである。彼女は「魂」を抱きかかえて、前世紀からこの21世紀に亡命した。そしてこの彼女の行動そのものが、なににもまして「心」の実在をあかすのだ。彼女の闘いが、心の在り処を示すのだ。 彼女の描く太陽は、彼女の心と等価である。それは心と照らし合いながら、心の双生児のように、心の間近を移っていく。銀河系の中心を少しずれたところで燃えている“比較的ありふれた恒星”の一つなんかでは全然ない。それはまさしくわたしたちの心そのもの、体そのもの、生そのものなのである。むろん現代の学校で学んだ彼女は、地球も宇宙ではゴミのようなカケラであって、決して特権的な星ではなく、太陽の周りで細々と楕円軌道を描いている貧相な存在にしか過ぎないことを知っている。地動説。唯一絶対的真理の地動説。すべてを一律に、水平化する地動説。だがこの有無を言わせない、傲岸な、冷たい科学的“信仰”のまっただなかで、それにしては豊饒に過ぎ、それにしては繊細に過ぎ、それにしては優しさに満ち過ぎるこの時空に、画家は毎日のように驚くのだ。驚きながら、そしてたぶん、彼女は軽井沢の大地と森と山と太陽と星々とをその全身にまといながら、こうそっとつぶやくのではなかろうか。 それでも、そら、天空は回っている。 |